こんにちは。
「日本人初」として、イギリスのインターネット雑誌に原稿が掲載された、玄滿プラズマ療法の創始者、阿部 祐子です。
(この投稿から正解の合言葉を探して頂くと、施術代を割り引かせて頂くと言う特別キャンペーンをしていたので至る所にしつこいくらいに、正解の合言葉である「日本人初」と言う言葉が出てきます。^^;)このキャンペーンは終了しています。)
宜しくお願い致しますm(*_ _)m
前回からの続きです。
13年前の2005年6月29日にオーストラリアで髄膜炎菌性の髄膜炎に掛かり、危篤に陥り所謂、臨死体験をし 、
その時に頂いて来たエネルギーをを使わせて頂いて玄滿プラズマ療法をさせて頂いている訳ですが。。。
(もう、危篤から帰って来て13年目になります。)
今まではブログ上ではこの事については特に、日本語では詳しくは語っていなかったと思います。
ですので、簡単にブログ上でも二、三部に構成して投稿する予定でしたが、
予定よりも少し長くなりそうです。
宜しければお付き合いのほど宜しくお願い致しますm(*_ _)m
オーストラリアの生命の恩人のSangpienから
「Jonoが2017年9月に修学旅行で日本に行くよぉ!会ってやって!」
と連絡が入りました。
勿論、喜んで愛に行きます。
二年ぶりのJonoとの再会です。
Jonoは2017年9月末に京都入りしましたので
ホテルまで2017年9月26日に母と会いに行きました。
(2015年1月に初めてご家族全員で会いに来てくださっていますので京都で会うのは二回目です。)
「国境を越えた愛ある家族物語」
と私が帰国してからJonoの家族と私との交流を名付けた方がいらっしゃいます。
ホテルのロビーに学校の先生らしき人達が。。。
ドッキンドッキン!
私: “Hello. I am a family friend of Jonathan, Yuko.”
(すみません。ジョナサンの友人の祐子ですが。)
先生: 「ジョナサンから聞いています。呼んで来ますね。」
ドッキンドッキン。。。。(笑)
あぁ~、又良いお兄ちゃんになってるぅ~。
ちょっと緊張しながら何故か握手。。。(笑)
写真も自撮りにしようと思っていたら、
Jonoの先生が。。。
「ジョナサン、写真撮ろうか?」
と言う事でJonoと私のスマホでパチリパシャッ! Σp[【◎】]ω・´)
周りのお友達に「日本の友達、僕達の日本の友達」っとちょっと自慢氣なJono☺
次は、母と三人で座っておしゃべり。。。
まずはお土産:
・Calbeeポテトチップス(オーストラリアのポテトチッスと比較してもらうため。)(笑)
・満月(笑)
・「ジョナサン」と毛筆体でプレスされたTシャツ(笑)
・ピエン(ママ)、スティーヴン(パパ)、アリスン(お姉ちゃん)のお土産。。。
とても丁寧にお礼を言って頂きました。
(PienもStephenも厳しいですから、流石だなと思いました。)
どうやら私の体調が氣になる様で、仕切りに「最近は体調は大丈夫?」と。。。
で、Jonoの幼き頃の「記憶の確認タァ~イム!」となりました。。。(笑):
Jono「祐子は病氣だったから僕ん家にいたんだよね?」
ちょっと解説です:
当時三歳だったJonoはママからは私の状態は聞いていたはずなのですが、理解出来ていなくて当然です。
その為、全部説明しました。
当時、私が入院していたロイヤル・アデレード・ホスピタルに看護助手として働いていたJonoのママ、Pienは危篤に陥った患者でもオーストラリアの病院は早く退院させるので、退院してから亡くなる人が多いと言う事で私を病院には内緒で退院直後、連れて帰ってくれました。
Pienのタイ料理は最高でした。
二週間お家でお世話になり、帰国しました。
Jonoはママ達と空港迄送ってくれました。
ですが、家に帰ってからも
「Yukoはどこ行ったの?」と。。。(笑)
当時三歳だったJonoには突然Yukoと言う家族が増えて、突然そのYukoがいなくなったと思ったみたいです。
解説終了(・ω・)ゞ
私「ママが私が退院する時に連れて帰ってくれたんやで。でなかったら、今頃死んでいないよ。36時間の余命やったんやで。」
Jono: 「さ、36時間っ!」(お目目まん丸にしてビックリしていました。)
私: 「Jonoの家族には感謝しても仕切れないんだよ。」
と三人でロビーで大泣き。。。
。゚(゚^ω^゚)゚。 。゚(゚^ω^゚)゚。
。゚(゚^ω^゚)゚。
Jono「いつも僕達、Yukoの話をしてるんだよ。」
でまた三人で大泣き。゚(゚^ω^゚)゚。 。゚(゚^ω^゚)゚。
。゚(゚^ω^゚)゚。
そして、又Jonoの幼き頃の記憶の確認の為の質問タイムに突入。。。(笑)
Jono:「Yuko、僕の面倒見てたよねぇ?」
私: 「パパもママも病院で勤務だったからね。。。」(笑)
とJonoの確認タイムは長かったのでした。。。(笑)
で、Jonoをラーメンを食べに外に連れ出すことに。。。
念の為に、私の携帯番号をJonoの先生知らせてと。。。 ☺
第一旭へ。。。😚🍜 ☺
Jonoと私はチャーシューメン、母はミニ。
Jonoから家族の近況:
Stephen(パパ)は病院は辞めて、難民を救う仕事に就いたらしく暫くは、外国とオーストラリアの往復の生活が続いたそう。
今はオーストラリア国内で同じ仕事をしていると。
Pien(ママ)は当時と同じ病院で看護師さんとして勤務。
Alison(お姉ちゃん)は大学で社会科を専攻しながらアルコール依存症の人達のリハビリ施設で働いていると。。。
家も建てているそう。
Jono自身は、将来は歴史の教師か、心理学者になりたいのだそう。
特に第二次世界大戦に興味があるとイケイケで話す。。。(笑)⊂('ω'⊂ )))Σ≡
母から戦時中の食べ物の無かった話「毎日毎日、大豆のカス、かぼちゃの種、芋のツルばかり。。。」
と言う話を聞いて急に残っているスープや短い麺を平らげて行くJono。。。
私: 「まだ、お腹空いてるんちゃうん? 炒飯かなんか頼もうか?」
Jono:「Yukoのお母さんから戦時中の食べ物がなかった大変さを聞いて、こうして普通に食べられる事をとても有難いと思ったから全部平らげた。」
何と素晴らしい子だぁ、Jonoは!❤
で色々山盛り話をして最後に、Jonoが
「僕達、Yukoの命を救う事が出来て本当に良かったよ。」
「祐子とお母さんが今度オーストラリアに来たら僕が面倒見る。その頃にはもう僕も働いてる。おねえちゃんの家にも泊まれば良い。(と勝手に(笑))」
Jonoを無事にホテル迄送って又おしゃべり。。。(笑)(Aussieですから。。。(笑) Aussie最高です。)
先生達も参加。。。(笑)
「どうだったジョナサン?」
「ラーメンと餃子を食べに連れて行ってもらいました。今までの中で一番美味しいラーメンでした。」(確かにオーストラリアには美味しいラーメンは無い。。。)
と色々。。。
ここからは三人で会話。
で、又Jonoが「Yuko大丈夫?大丈夫?」と。。。
実は2015年にJonoが家族で初めて日本に私に愛に来てくれた時も
尾骨骨折、後頭部強打、肋骨骨折、肋軟骨損傷で半寝たきり状態だった私。。。(笑)
そりゃ~、Yukoは大丈夫かと思う訳で。。。と思っていたら、
脳に腫瘍がある事を伝えるのを忘れてた事を思い出しました。。。
それを伝えるとJonoの顔が曇ってしまいました。。。
「それは大変だ。パパとママとおねえちゃんに伝えるよ。Yuko、大丈夫だからね。キット大丈夫だからね、
Yuko。」とJono。。。
で、南オーストラリア州で再会する事を約束して、お暇する事に。
外まで出てお見送りをしてくれました。
私達の姿が見えなくなるまで手を振ってくれていたJonoでした。
こうやって国境を越えた生命(いのち)の恩人と繋がっている事がとても嬉しいです。言葉では言い表せません。
実は、母と南オーストラリアに行き、
生命(いのち)の恩人にロイヤル・アデレード・ホスピタルに連れて行ってもらって
お礼を言いに行くことを計画しています。
勿論、Jonoのいる生命(いのち)の恩人一家との交流も楽しみにしています。
Jonoが面倒を見てくれるそうですから ☺
ただ一つ。。。とても心配な事があります・・・。
それは・・・。
つづく
最後までお読み頂きありがとうございます。
ハッピー ヒーリング、ハッピー げんまん☺
阿部 祐子☺
玄滿プラズマ療法創始者、
プラズマ / 神無研究会 創始者
アースデー京都国際広報部長
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