13年前の2005年6月29日夜中にオーストラリアで髄膜炎菌性の髄膜炎に掛かり、危篤に陥り所謂、臨死体験をした訳ですが。。。
(もう、今年の7月初旬で13年目になります。)
今まではブログ上ではこの事については特に、日本語では詳しくは語っていなかったと思います。
(Facebook上ではしていたと思います。)
英語版は
「日本人初」
として
イギリスのインターネット雑誌に載っています。
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| イギリスのインターネット雑誌に「日本人初」として掲載された私の記事の冒頭のページ |
![]() |
| 私の原稿が「日本人初」として掲載されたイギリスベースのインターネット雑誌の表紙 |
雑誌の写真の説明文をクリックして頂くと
雑誌のダウンロードページに接続されます。
文字制限があり、正確な情報を思い通りに雑誌上で伝えられなかった為
現在再編集中です。
話を戻します。
ですので、簡単にブログ上でもサッと日本語でまとめたいと思います。
それでも長くなると思いますので二、三部に分けて投稿して行きたいと思います。
宜しければお付き合いのほど宜しくお願い致しますm(*_ _)m
私はたまたま病院に行く前の晩、2005年6月28日午後、James Bennettと言う知らないおじさんと出くわし、数時間お喋りしていました。
その明くる朝、強烈な首の痛みと頭痛と寒氣でフラフラの状態でしたが最後の力を振り絞って王立病院に行こうとしていました。
その時偶然、前の晩に出逢ったJamesのおじさんに出くわしました。
途中の話しは長くなるので割愛させて頂きますが、
Jamesが「外国で一人で病院に行く事は大変だろ。僕が一緒に行くよ。仕事は後で行く。」
Jamesのお陰で無事ICUの隔離室に入院出来、取り敢えず助かりました 。
色々と病院側の事情があり、診てもらえそうも無かったのですが、「それは病院の事情であって、この子には関係ない。今すぐ診てやってくれぇ~っ!」と大声で叫んでくれたJamesのお陰です。
(James、本当にどうもありがとう。)
36時間の余命だった訳ですが。。。
薬を経口摂取していては間に合わないので、首から心臓にカテーテルを突き刺してバンコマイシンと生理食塩水を直接入れてもらっていました。
確かに36時間以内に所謂、臨死体験をしてしまいました。
ここでは私は「臨死体験をした」と書いていますが
私個人的にはこの現象を
臨死体験だとは思ってはいません。
ただ他人さんが
「私は臨死体験をした」
と仰ることは決して否定しません。
なぜならその人が
臨死体験をした
と仰っているのですから。
私はそれしか表現方法がないので
私の経験した事を良く
所謂
臨死体験と言っています。
宜しくお願い致します。
ここでは私は「臨死体験をした」と書いていますが
私個人的にはこの現象を
臨死体験だとは思ってはいません。
ただ他人さんが
「私は臨死体験をした」
と仰ることは決して否定しません。
なぜならその人が
臨死体験をした
と仰っているのですから。
私はそれしか表現方法がないので
私の経験した事を良く
所謂
臨死体験と言っています。
宜しくお願い致します。
話を戻します。
所謂臨死体験はここでは詳しくは書きませんが、(イギリスのインターネット雑誌に詳しく書きました。)
所謂臨死体験はここでは詳しくは書きませんが、(イギリスのインターネット雑誌に詳しく書きました。)
痛みからも解放され、とても気持ち良かったです。
とても幸せでした。
ここから先天国に行くのか
地獄に行くのか分からなくなり
怖くなり
「早う帰らなぁ~っ!」と
とっさの判断で帰って来ました。
その後も何度か危なかったですが、
色々な人のお陰で退院する事に。。。
(英語で「抗生物質(特にハロスポア)にアレルギーがあるから使わないで欲しい。」と伝えられたのもラッキーだと思います。)
オーストラリアの病院は危篤に陥った患者を五日間で退院させます。(何れ日本もそうなるかも知れませんね。)
前置きが長くてすみません。
退院が決まった日にタイとオーストラリアの二重国籍の看護助手さん(今は看護師さんとして同じ病院で働いていらっしゃいます。)、Sangpienが
「退院したら家で預かるからおいで。オーストラリアの病院は直ぐに退院させるから、退院した後の死亡率が非常に高い。このまま退院したら祐子は死んじゃうよ。」
確に退院してから一人でスーパーに買い出しに行ったり
バスに乗って外来で受診に行ける自信は100%ありませんでした。。。
強烈な苦しみでしたから。
でも、お断りしました。
でも、Sangpienは引くことはありませんでした。
私が「うん。」と言うまで、Sangpienは「家においで。」
と言い続けてくれました。
そして、彼女のお家で二週間お世話になる事に。。。
彼女の旦那さん、Stephenは同じ王立病院の看護師さんでした。
彼女の私の体調を見ながら作ってくれたタイ料理で随分と元氣になりました。
色々とお世話になりました。
彼女のタイ料理はとても美味しかったです。
当時3歳だったJonoもとても私に懐いてくれました。
ずっと私に付きまとってました。。。(笑)
いよいよ帰国する日、一家で
空港まで車で送ってくれました。
(Stephenは勤務でした。)
実は私の免疫力がとても下がっていて
外来受診に行った時に
目の感染症に掛かってしまい
Stephenに移してしまいました。
そして、私は移してしまった事をStephenに謝りました。
Stephenは私が車に乗る前に笑顔でこう言ってハグハグして見送ってくれましたくれました:
「祐子はいなくなって寂しくなるけど、僕には祐子からもらったお土産があるから大丈夫さぁ~!」(笑)
大丈夫なはずは無いのですが。。。(笑)
どこまでも良い人です。
帰国してから電話でSangpienから「祐子を見送って帰って来てからずっとJonoが祐子はどこに行ったの?と聞くのよ。」
と聞かされました。
当時、Jonoは3歳でしたから理解出来なくて仕方ありません。
つづく
最後までお読み頂きありがとうございます。
ハッピー ヒーリング、ハッピー げんまん☺
阿部 祐子☺
玄滿プラズマ療法創始者、
プラズマ / 神無研究会 創始者
アースデー京都国際広報部長
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