2018年6月29日金曜日

私の臨死体験、そして国境を越えた生命の恩人との交流について #3

 こんにちは。


「日本人初」として、イギリスのインターネット雑誌に原稿が掲載された、玄滿プラズマ療法の創始者、阿部 祐子です。




(この投稿から正解の合言葉を探して頂くと、施術代を割り引かせて頂くと言う特別キャンペーンをしていたので至る所にしつこいくらいに、正解の合言葉である「日本人初」と言う言葉が出てきます。^^;)このキャンペーンは終了しています。)





宜しくお願い致しますm(*_ _)m


前回からの続きです。



13年前の2005年6月26日にオーストラリアで髄膜炎菌性の髄膜炎に掛かり、危篤に陥り所謂、臨死体験をした訳ですが。。。

(もう、13年になります。)




今まではブログ上ではこの事については特に、日本語では詳しくは語っていなかったと思います。




長編小説なみになりますので思いますので二、三部に分けて投稿して行く予定でしたが、少し長くなりそうです。




宜しければお付き合いのほど宜しくお願い致しますm(*_ _)m









何と! (  Д ) ⊙ ⊙ 





オーストラリアの生命(いのち)の恩人である看護師さんご一家が1月に遊びいらっしゃると連絡が入りました。



「日本人初」としてイギリスの雑誌に私の原稿が載る年に遊びに来て頂けるなんて凄い偶然です。





母はまだ私の生命(いのち)の恩人には会った事がありませんでした。




母は自分の娘の生命(いのち)の恩人に直接会ってお礼を言う事を楽しみにしていました。





10年振りの生命(いのち)の恩人との再会。。。




ドキドキでした。嬉しい様な、怖いような。。。




(フラッシュバックを起こさないかどうか不安でした。)




涙涙のハグハグの10年越しのオーストラリアからの生命(いのち)の恩人との再会でした。





当時中学生だったAlison(Jonoのお姉ちゃん)は23才に。





当時3歳だったJonoは中学一年生になっていました。





二人とも大きくなっていました!





特に当時3歳だったJonoはとても大きくなっていました。





途中でJonoはみんなに聞きました:

「何で祐子は家にいたの?」

「急に祐子が居なくなったから今迄ずぅ~っと祐子を探していたんだ。」

「やっと会えたよぉっ!」





おねえちゃんのAlisonが
「祐子は病気だったからみんなで看病していたんだよ。」と優しく教えていました。





この後はSangpien(ママ)がワインを持って来ていて。。。(笑)





私の家にも色々あったもので(父が作って置いて行ったもの)
皆でパーティーしてました。





色んな事を話しました。





Monsantoの話まで出ていました(笑)





この後、恐る恐る私の生命(いのち)の恩人一家に




あの時、「私は臨死体験をしたの。」




そしたら、命の恩人の御一家は皆泣きながら




「何でもっと早く言わないの?」
と。。。




すんなりと受け入れてくれました。




そして、





(私はクリスチャンではありませんが、)







パパ の Stephenと長男のJonoが私の為にお祈りをしてくれました。





彼等は我が家は代々神道信者である事は知っています。




けれども、世界中のどの神様にであれお祈りして貰えると私はとても嬉しいです  ❤




世界中の神様は本来「平和」の為に存在しているはずですから。




又再会する事を約束してハグハグをしてお別れをしました。




そして。。。





つづく



最後までお読み頂きありがとうございます。
ハッピー ヒーリング、ハッピー げんまん☺








阿部  祐子☺
玄滿プラズマ療法創始者、
プラズマ / 神無研究会 創始者
アースデー京都国際広報部長






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